LINE645

ブログ風「しんじワールド」

なんでもありの気分転換サイト日記。。。
自問自答、ちょっと他問、ぐふっ。


■悲しいばかりじゃない。。。スコシダケ公開
にほんブログ村 釣りブログ 波止釣りへにほんブログ村 病気ブログ リハビリテーションへ←覧近グゥ〜。
サイト本家 このブログアドレス


〜BGMはいかが〜 今週は「orphee」

7月1日で[335024]


本家正面玄関へンなサイト

♪〜ときには生命(いのち)の息吹を。。試聴!
魂が音になる・・◆フルート・笛:横田年昭さん
こちら「Youtubeバージョン」


 web拍手! 


手間暇掛けりゃぁ・・・。


 今朝は8時に一度起きるも両太ももが痛くてしょうがない、昨日の海上はそれほど揺れたわけでもないのにとすこしメゲテ今日の三浦半島行きは断念、不貞寝の後12時にはシャキッと起床、衣類の片付けをしているうちに妙にアクティブになり資源ごみの取りまとめだのフローリングの水拭きに精を出す。

click

 そして3時頃から、いよいよ調理開始と作戦を練る。昨日持ち帰った鱚をいかに美味しくイタダクかということで、天ぷらと昆布〆と中骨での吸い物を思い描きまず下ごしらえで全部を背開きにし、小さいものはさらに皮を引いてビニール・パットに3%の食塩水と出汁昆布で漬けこみ冷蔵庫に。中骨の半分は長ネギと一緒にことことと出汁に、残り半分は骨せんべいししてみよう。そして油を使うのでついでだからとありあわせのナスと玉ねぎも天ぷらネタにしてやろうと下ごしらえ、なんだかんだで4時間近くも掛けて美味しく食べられるであろうものが出来た。

click


 今回の出来は「昆布〆」は満点、中骨出汁の「白みそ仕立てスープ」も最高の出来、天ぷらは衣が少し厚過ぎて食感に不満があったものの味は上出来、旨い旨い。そしてなんといっても最近の大ヒット、福島県産コシヒカリだ。わざわざ買いに遠出した甲斐があるは。

click

 昆布〆は好みで漬けこむ時間をいろいろ変えて味わえるとのことで、3回位に分けて口にできそうなので楽しみだ。画像で見ても30分ほどで昆布のヌメリが溶け出しているようでいかにも旨そうな色艶だ。
 実際、今回はまず30分ほど漬けこんだものだったが、ほんのりと甘みが行き渡り塩味はほとんど感じなく、昆布の旨味も表立っていないで、山葵醤油を数滴付けて戴くそれは極上としか言いようもない、皆さま、ごめんなさい、だな。

click

 欲というのは悪いこととして挙げられがちだが、こと食欲だけは無きゃ命にかかわる。世の中には無意識にしても旺盛な食欲をそなえた方々が大多数を占めていて人類繁栄の原動力になっているとは思うのだが食うことに関心ないしとはたいへんなのだ、うっかりすると2,3日も忘れて死にそうになったりする、そんなバカなというが本当だ。

 今日の予報は晴れだったが日中に一度にわか雨があったらしいのだが気がつかなかった。それくらい調理に熱中していたのだろうが、まぁこれだけ手間暇かけりゃ美味しいものが食べられて当然ということかなぁ。
STOP_淡い期待を持ってデジイチで写真を撮るのだが、頭に描くような物は皆無、たしかに作品というにしては、あまりにも安直に出来上がってしまうものだから、それで何かを表現しようというのはあまりにもおこがましいということなのだろうな。説明写真だってもうちっとましな写し方があるようにも思うのだが見当もつかない。今一番悔しく感じるのはそのことかも知れないのだが、かといって何か勉強しようなんて気にはさらさらならぬのは、それほど悔しくはないのかもね、とほほ。

 写真芸術という言葉があるくらいで、確かにこの世の光景、情景を写し取った結果としての写真に十分アートとしての表現力が発揮されているものがこの100年くらいの間に出現しているのだ。今、時間があるときに探究している芸術論なのだが、なかなかこれといった名文にはめぐり合えない。やはり新しい表現手段である音楽や写真に関係するものが多いのは止むを得ない、何といっても新参には違いないから系統立っての解説もいろいろな見方、考え方があり、これだと得心できない拙者は可哀そうなものだ。と言いつつ個人的には大好きな作品群が存在するのだからあまりごちゃごちゃ考えずにこっそりと鑑賞するのが正しい接し方なのかも知れない。能書きの多い表現者にさしたる作品は無いし、作品を残すアーティストは作品で訴えるもんなぁ。
 この頃間違いないと思うことにアートと目されるものに安直かつ簡単に出来るようなもんのは皆無だという単純な事実だ。やはり全人生を掛けるくらいの覚悟を持ったしとの中からしか発生しない。19世紀以降、美学という分野でドイツを中心に論ぜられた諸々もいまひとつしっくりこない。ベートーベンやワーグナーをどのように分析したって彼らの様には出来っこないのだがその神髄に少しでも触れることが出来れば新たな作品が出現する、かも知れないと希望を持つのみだ。熟練の技なくしてアートはあり得ないという簡単な真理、努々忘れちゃいけないな。
 そして多くの芸術論や美学に関する書物で云われるのは受け手の精神性も創り出す側と同等、あるいは同じ感性を持つのだという、なんとも納得しかねる論調だ。誰に阿ているのか知れないが、そんなわきゃない、良くそんな失礼なことを云うもんだ。

web拍手_履歴



2009年06月02日(火) No.2625 (ブログ::ぐふふな調理)
Comment(2) Trackback(0)

■800Px幅以上の画面でご覧ください。■sen