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ブログ風「しんじワールド」

なんでもありの気分転換サイト日記。。。
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〜BGMはいかが〜 今週は「orphee」

7月1日で[335024]


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♪〜ときには生命(いのち)の息吹を。。試聴!
魂が音になる・・◆フルート・笛:横田年昭さん
こちら「Youtubeバージョン」


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もったいないこと。


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♪〜My Blue Heaven、見事にな〜んもない。

 今朝7:00に起きて秋晴れを見、出掛けなくちゃと思いつつバッタリと寝てしまった。夜中じゅう起きていたせいだが、なんのこたぁない、BGMにお気に入りの曲を掛けながら分厚い音楽辞典などを拾い読みして、あーでもないこーでもないと一人相撲していたのだ。その間、ときどき我に返り明日は絶好の釣り日和だからさっさと寝て出掛けようとは思っていたのだが、なかなか思うようには行かないなぁ。というわけで、絶好の好天のさなか、グースカ寝ていたわけでなんともったいない、また晴れるさと慰める。
 
 昨日、今日と音楽の三大要素なるものに思いを馳せていたのだが、それは前衛音楽とかアバンギャルド、フリージャズの可能性を考える一助にということでもあったのだ。というのも最近きまぐれに観るweb上でのグループで、たまたまいくつかの前衛ジャズを見聴きし、おおっ、やってるなぁという感慨を持ったことに端を発するのだが、40年も前にしきりにそそられてのめり込んでいったこともあり、懐かしさを覚えるという何ともタカピーなしとなのである。

 たかだか200年の歴史でしかないのだがアカデミックに定義付けられていることでは音楽の要素としてメロディ、ハーモニー、リズムの三つが上げられるのだが、前衛なるものはどれもがそれをどれだけ無視、破壊して音楽たりうるかと挑戦しているようなのだ。あながち無駄なこととも思わないのは聴く時と場合、状況によってはしとの心の琴線に響くものもないわけじゃないという事実、これをもって音楽の一分野といってもかまやしないのだが、その多くは偶然を大きな要素にしていて創作者・演奏者の独創性を感じることはない。多くの創作者は売れるとかもてはやされることを願って活動しているとは思わないが既存でないものを模索しているということが貴重だ。ひょっとして何万分の一かの確率で新しい音楽が認知されないとも限らない。

 音楽の三大要素に音色・ねいろが含まれないというのが拙者の七十七不思議の一つだ。メロディに音色も含まれているのだろうか。音楽って何?とひとり一人に問うた時、共通項を抽出すれば美しい楽器の音色というのがあるように思うのだがどうなんだろう、今日もまじめでメンドクサイ記事だ。

STOP_そういえばしばらく前のブログ記事に「感性の劣化」なんて皮肉半分記したことがあるのだが、若々しい感性というのは確かに存在していて、それはある種、視野見聞の狭さからくる必然でもあって必ずしも称賛されるようなものではないが、そういうことと縁遠い人生は、それこそもったいないと思う。「いくつになっても瑞々しい感性」な〜んてのは言葉だけのアホな話ではある、ということが云いたかった、あはは。

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2008年10月16日(木) No.2036 (音楽全般)
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クール・ダウン、そしてハーモニーのこと。


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♪〜画像元

 夜11時近くになってようやく落ち着いた心地、たまのシゴトは興奮しちゃうのか頭の中が熱くなるように感じる。たくさんのしとと喋るせいか寿命が縮まる思いだ、なんて悪態ついていて一人になると少しずつ穏やかになる、クール・ダウンてのがぴったりくる言葉だ。

 そしてしばらく前から考えている時代によって好まれるハーモニーについてのこと、この「ハーモニー」だが日本語で和音とか和声とよく訳するが、ちょっと違う感じなのだ。和声進行、ってのもなんか違う。俗に云う「ハモる」ということば、これだと響き合わせるというニュアンスがあってぴったりなのだが日本語とは言い難い。
 なんて考えていて「響和」という熟語に思いいたった、うん、これならイイ。ハーモナイズなんてのも「響和する」とか「響和させる」と言えばピンとくる、あはは。


 鍵盤楽器やシンセ楽器のつくる和音と弦楽器や管楽器が2本以上で作るそれは、この響和のニュアンスが根本的に異なる。後者は各々が合わせに行くというか響かせに行った結果生じる音ということで聞こえている間、明確に行為を感じる。その点で「ハモる」ってぇのはちゃんぽんながら言い得て妙だ。

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 で、本題、爾来、昔と今のハーモニーの響きが違って聴こえるのはてっきり楽器演奏技術の精度というか正確さによるものではないかということにやや疑問が出てきたことなのだ。

 大雑把にいって、'50年初頭あたりまでとその後20年位と現在、響和のザラツキ具合が目だって変化している、と感じるのだ。もちろんこれは平均律での洋楽の話だが。最初はジャズバンドのアンサンブルで強く感じていたのだがクラシックでも似たような感じなのだ。

 こんなこと考えるのはバップの頃の三管のフロントやビッグバンドのザラツキが妙に良く聞こえたりすることが多いということで、逆に綺麗さで言うと今の中学生のブラスバンドのほうがちゃんとしたユニゾンなりを演奏するんだよなぁ。それで、時代の嗜好なのかなぁとか思っただけ。美人の基準も変わるようだし、これは関係ないか。

♪〜音が多すぎます、と自分に突っ込んだもの。



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2008年10月13日(月) No.2033 (音楽全般)
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グッド・タイミング。


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 夜更かしをしてしまったが気分良く就寝して今朝9:00にハイビジョン放送で予約してあった海外ドラマ「英雄〜ベートーベンの革命」が入りしばらく寝ながら聴き入っていた。演奏がほとんどという珍しい手法でじき起き上がってちゃんと観ることになったのだが、予約していたことなど忘れていたのでラッキーという思いだ。それにしてもなんたる偶然、昨夜の記事で和音のことに思いを寄せていた矢先、ドラマとはいえ19世紀初頭のオーケストラの練習風景を観れるなんて。20代前半かなぁ、とんがらかって向かうところ敵なしといった感じが良く描かれていて、当時のスポンサーの貴族なんか可哀想にも見えた、ぎゃはは。

 さらに幸運は続く、ドラマに引き続いて「世界のオペラハウス」というドキュメンタリー番組があり、ベルリン国立歌劇場が取り上げられていた。フリードリッヒ大王入魂の歴史ある劇場で、ちょっと見にも文化の香りがぷんぷん。裏方さんから劇団員まで、ああいった組織が腐敗しないのは結果が否応なしに日のもとにさらされるせいなのか、それなら劇場型政治というのもモチット質が向上しても良さそうに思うのだが。

STOP_

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2008年09月30日(火) No.1985 (音楽全般)
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秋の夜長。


 というわけで秋の夜長、目薬を点して寝ようかと思ったがなんともこの静けさがもったいなく感じられ、それではと寝転がったままDTMソフトを開き遊んでみた。音楽の楽しみ方は百人百様で、まず聴くことがあって、歌う、楽器を奏でる、他にも観るというのもあるかも知れない。そしてほんの十数年前までならオーケストラの指揮などは本当に限られたしとしか味わうことができなかったのだがデジタルテクノロジーの進歩でどこにでもあるPCで疑似体験が可能になっている。

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 昔から和音にいたく興味をそそられその曰く因縁について興味本位ではあるが追及してきたこともあって今、手軽に音にして出せるのが面白いの一言に尽きる。なんといっても60人以上のバーチャル演奏家をマウス一つで自由に出来るなんざぁその昔の王侯貴族ですらかなわなかった贅沢なことだ。
 「美しい」ということでは協和音というのが人類に普遍的に備わった感覚ではないかと思うが、それだけでは音楽として退屈なものだ。時代とともに先人がありとあらゆる試行を繰り返し今も続いているわけだがそれはちょうど絵画の世界で新しい色使いや構図や描画手法が認知されていったのと同様に不協和音という言葉がふさわしくないような音使いが新たな音楽美として定着してきた経緯があるわけで、この先どうなるかは断言できないがこの数十年で聞く限りおおよそ出尽くしたかなとも思っている。なんてこと書いていたところで、観たかった映画「ニューヨーク東八番街の奇跡」が始まった。(0:50)STOP いやぁ〜、面白かった、なによりジェームズ・ホーマーによる音楽が最高。1987年度制作のアメリカ映画で原題が「Batteries not Included」とそっけないものだが丁度我が国でも横行していた地上げ屋の悪どさと救われようのない小市民がUFOに救われ、ハッピーエンドとなるファンタジーで他愛ないといってしまえばそれまでだが、娯楽はこうでなくちゃ。サウンド・トラックは全編、上等なスイング・ジャズでドルビーシステムの音質も良く、夜更かしの甲斐があった。(3:00)

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2008年09月30日(火) No.1984 (音楽全般)
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心変わり。


 朝起きたときにケッシンしたはずのお出かけだったが、天気予報とはうらはらに雲が厚くなかなか踏ん切りがつかぬままづるづるとお昼になり、もう今日は止め、で夕方にドキュメンタリー『昔、男ありけり「武満徹〜読めない本〜」』なる放送を観た。現代音楽はあのジョン・ケージ他、おおくの方々の作品について断片的に聴くことはあっても決して好きな音楽ではないのだが、モダンジャズでのアバンギャルドなど同様に、狂狷なまでに突き進む彼らに強い興味を覚えるのだ。単に奇を衒うこととは違う深淵な事柄を感じ取れることがあってたまにではあるが惹きつけられる。特に武満さんが音楽を志したきっかけが終戦間じかに勤労少年として防空壕のなかで教官が慰めに聴かせてくれたシャンソンだったというのが、とても納得できる。

 今度の日曜日にちょっとしたシゴトの電話、うぅ〜んと一瞬考えたが引き受けた、天気悪そうだし、あは。

 あしたこそ行ってやる、中津川水系。STOP
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2008年05月22日(木) No.1727 (音楽全般)
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マッチポンプ。


 今日の日曜日はなんともグタァ〜っとした一日、ピリっとしなかった。なんと昨夜から12時間も寝てしまいお昼に起きてからこの日記スクリプトに画像を6枚づつアップ出来るように改造しようとして誤って文字コードをs-jisで保存してしまい修復に半日費やしてしまった。修復後もところどころ出る文字化けを解決すべく手を加えた。

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 夕方、「オーケストラの森」という番組でヒンデミットの交響曲、「画家マチス」を大阪センチュリー交響楽団の演奏で放映していたのでしばし観る。このハイビジョン映像でみるオーケストラというのは思いもかけない印象を与えてくれる、それは音楽より演奏者の表情や仕草がやたらリアルで鮮明に見えるためついそれぞれのしとの背景や人格や生活に思いが行ってしまう。オーケストラの60人を超えるかというこの楽器演奏の達人たちが一曲の演奏にあたって何を思い描いているのだろうかと興味がつきない。
 たしかに作曲者はヒンデミットでそれは五線紙に記録されているのだろうが今聴いている音楽は間違いなく彼ら演奏者の創出物なのだと思うと、ついそちらに目がいってしまう。しかしこれって木を見て森を見ていないということになるのかなぁと映像を見ながらふと思った。見えなくても良いものもあるのかも知れない。STOP なにやらクラシックづいていて、深夜には神尾真由子さんの昨年8月のチャイコフスキー国際コンクール優勝記念コンサートを視聴、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47とチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35の2曲をほれぼれと聴きいってしまった。さすが世界一のバイオリン奏者と納得、オーケストラの中に浮かび出るその音色の美しさといったら例えようもない存在感を示している。先の文に書いた通り後半は映像を見ずに聴いた。ちなみに拙者はチャイコフスキーのほうが好きだ、ためいきさえ出る。内なる琴線を直に響かす音楽だ。
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2008年05月18日(日) No.1717 (音楽全般)
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即興、アドリブ。


 今、閑暇に読み返している本にA.シェーンベルグの「和声法」がある。1948年に彼が南カルフォルニア大学で作曲学科の学生の知識の無さに憤慨し、教本として書きしたためたもので邦訳は上田昭さんにより10年経てなされている。若者が勉強しないというのはいつの時代も同じらしい、といいつつ、極少数は大人の教えとは無関係に道を切り開いてきているわけだ。
 この教書の面白さは彼の古典のアナライズが解かり易いことで、音楽表現についての的確な姿勢が明確に示されてもいる。作曲技法とかハウ・ツー本などではないのだ。ただひとつ不満があるのは邦訳の段階で一番肝心な「region」を日本語にしていなかったこと、同じ様に要となるキーワードのいくつかを原語のままにしている。岡潔さんがよく言われていた民族の起源の違いによる情緒の相違を思えばこういった邦訳は意味を成さないのだ。この「region」というニュアンスは、ある楽曲の主調が支配されている、あるいは支配している範囲のことでありそのように明記してもおかしくないのになぜ「region」のままなのか疑問だ。「領域」と訳しても別段不具合ではない。「substitute」、「transformation」、「period」や「sequence」もそうだ。
 近年のIT関連の書籍にもよく見られた現象で訳者の日本語力、翻訳の能力を疑ってしまう、無責任だ。造語してでも意味を感じ取れる文章にすべきで、明治大正期の学者を見習うべきだ。知識に欠けるのは若者ではなく教える大人だ。訳した本人も理解していないのではと失礼なことを思ってしまう。説明というのはありとあらゆる比喩や例えを示すことが肝心なのだから。
 ちと脱線したが、この御本、その中の一文に即興についてのことがあり改めて感慨を深くしたのだ。曰く、

『即興の優劣は、その念入りなことよりも、むしろインスピレーションの直接性と活気にかかっているのである。もちろん、書かれた作曲と即興の作曲の違いは、制作のスピードであり、相対的な問題ではある。したがって、即興曲も、幸運な条件のもとでは、注意深く書き上げられた労作のもつ深みを得ることができる場合もあろう。一般的にいって即興は、厳密に知的な能力を用いる場合より、ずっと想像力と情緒を通じ主題と取り組むことになろう。』

もちろん、この時期モダンジャズの創成期でありこの一文はあくまでもクラシック音楽での話しではあるのだが、まさにパーカーやパウエル、ドルフィーなどは想像力と情緒においてそれを現実のものとして具現化したのだと思っている。それは新しいサウンド、響きでもあったわけだ。
2008年05月13日(火) No.1712 (音楽全般)
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